カトリーヌ・ド・メディシス2 王様とノストラダムス。 

ノストラダムスって言えば1999年7の月とか言う予言が今や懐かしく思い出されます。
ちびまるこちゃんでも結構話題になったしね!

へっ、当たらなかったじゃーん♪と思われた方も少なくはないはず!
さすが、予言なんかやっぱり、ガセ?とか、思われることなかれ!!

ノストラダムスの予言は当たっているのですから!
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王妃カトリーヌ・ド・メディシスその1 

「西洋のベスト・オブ・悪女(悪女にベストをつけるのも可笑しいかもしれませんが)を決めるとしたらだぁれ?」って聞かれたら、前述のイザボー王妃と並べて彼女の名前を出したい!
(勝手に)命名「フランスの西太后」

と、言うわけで、今回のテーマは、カトリーヌ・ド・メディチ。
アンリ二世の皇后。そしてフランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世の母に当たる方です。
彼女の場合は、関係者がぶっちゃけ多すぎ…、しかもはしょるにはしょれない方々ばっかし☆なんで、何度かに分けたいと思います。

だって、近親者だけで王様が三人(!/まあ、大した王様じゃないんですが)、旦那も王様(じゃなきゃ、「王妃」じゃねーよ)!そして、王妃が一人って言うそうそうたるメンバー…。しかも、かの、ノストラダムスとも交友があるとか言うお方ですもの…!

因みに、アンリ2世は次男。父のフランソワ一世には、フランソワという皇太子がいました。つまり、カトリーヌは「王妃」になる予定ではなかったと。メディチ家は、財産こそものっそいものがあるものの、格式としては決してフランス国王の妃に相応しいものではありませんでしたし。正直、元ブルジョワで、金で成り上がった成り上がりもの、という見方が強かったのです。
然しながら、アンリの長兄フランソワが、急死した事により(マジで急死、暗殺って噂も無きにしも非ず)アンリがドーファン(王太子)となります。
正直、ちょっぴり傾いていたフランス王家(ヴァロワ朝)の財産建て直しのために、金持ちの娘を息子の嫁さんにしなければー…ってなもんで。
其処に愛はあるのかい!?
あるわけねーよ、所詮は政略結婚ですものー。
と、言うわけで、カトリーヌは膨大な持参金と、千人を超える召使、そして、当時は野蛮とされていたフランスに、洗練の極みであるイタリア文化を持ち込みました。(フォーク、アイスクリームは、カトリーヌがフランスに伝えたもの)。

当時14歳。政略結婚とは雖も、一生を共にする夫に心をときめかせたり、甘い結婚生活を夢見たりもしたでしょう。然しながら、其の甘い生活の夢なんぞは、あっさりと消え去ります。
アンリには、心より愛する女性が既にいたのです!

当代一の美女!美女の中の美女!!
でも、この人も相当の悪女だと思うぞ☆な、ディアンヌ・ド・ポワチエ。(ディアヌだとか、ディアーヌだとかって言う表記もありますが、この表記が好きなので、この表記を貫きます!)
つーわけで、アンリ・ディアンヌに少しばかり焦点を当ててみましょうw

以下、若しかしたらちょっぴりえっちぃ描写(笑)もあったりなかったりするので、折り曲げておきます。
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100年戦争を引き起こした売国奴王妃 

「100年戦争は、一人の悪女により幕を開き、一人の聖女により幕を閉じた」

勿論、聖女はオルレアンの乙女、ジャンヌ・ラ・ピュセルですが、件の悪女はどなたかは余り知られていないのではないかと思います。

其の悪女はシャルル六世妃、そして、シャルル七世の母、王妃イザボー・ド・バヴィエール。
しかも、「イザボー」って何よと思われるかと思いますが…、彼女の通称というか蔑称。
本当のお名前は「エリザベート」であらせられます。(ものの記憶によると)
王妃「マルゴ」が本名マルグリットであるのに関わらず、マルゴなんて蔑称で呼ばれているのと同じですな。

それは兎も角、彼女はかなり凄いって言うか、マリー・アントワネットどころか、悪妻の代表、マリア・ルイサ・デ・パルマも追い抜くほどの悪女っぷり。何せ、淫乱王妃とか呼ばれちゃってるくらいですから!
とくとご堪能あれ☆長いんで閉じます。
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サインのお話。 

「…枢機卿、王妃が「マリー・アントワネット・ド・フランス」だなどとサインしないのは、宮廷人ならみんな知っていることだろう?」

有名な首飾り事件に於ける、ロアン枢機卿へのラブレターが真っ赤な偽物だと断定付けたルイ16世陛下のお言葉は「べるばら」なりなんなり、マリー・アントワネットやフランス革命関連の本を読んだことがあるお方なら一度は目にしたことがあるでしょう。

じゃあ、王妃はなんてサインしたんだ!?つか、箸の上げ下げにもすげえもったいぶる貴族のことだもの。サインも無駄に長く仰々しいんだろうなあ、なんて思った其処の貴方!(誰。)
例えば、フルネームで「マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・オートリッシュ」とかはたまた皇女時代の「マリア・アントニア・ヨゼファ・ヨハンナ・フォン・ハプスブルク・ロートリンゲン」とか。

と ん で も な い!!

その答えはルイ16世陛下と、マリー・アントワネットの結婚宣誓書にあります。

一番上は時の国王、ルイ15世のサインなのですが。ただ一言、唯一つ。

「Louis」

と、だけ。

で、ルイ16世陛下は「Louis Auguste」。つまりはファーストネーム+洗礼名。彼も国王即位後はサインを「Louis」だけに変えています。
実際結婚宣誓書の、国王一家は、殆どがファーストネーム+洗礼名のみで署名しています。
例えば、叔母様方も「マリー・アデライード」など、洗礼名を用いています。

これは決して手抜きではありません。寧ろ王族にだけ赦された誇りにすべき特権であるともいえるのです。

「宮廷で出世したいのであれば、ファーストネームだけで署名する人々と懇意になるべきだ」

宮廷における、有名な格言でもあります。

つまりは、王族は大体が、ファーストネームのみ、洗礼名のみ、或いはファーストネーム+洗礼名で署名したのです。
マリー・アントワネットも、サインは「アントワネット」或いは「マリー・アントワネット」のみでした。

態々、マリー・アントワネット・ド・フランスだなどと、署名する必要もないとも考えられるでしょう。マリー・アントワネット、或いは、アントワネット、と言えばフランスの王妃。それだけの知名度があってしかるべき女性なのですから。

また、これは、多分昔から続く、王族の特権だったと考えられます。海を渡った、ついでに言えばフランスとは恐ろしく仲の悪い、イギリスでさえも、その風習を持っているのですから。

かの、エリザベス女王も、署名は「Elizabeth」或いは「Elizabeth・R」(Rは恐らく「レジーナ/女王」の略だと思われます)のみだったらしいですから。

そんな、箸にも掛からない歴史のお話。


【ヴィーヴ】ルイ16世陛下万歳!その2【ド・ロア!!】 

活発で利発だった前王太子ルイ・ジョゼフに比べると、大人しく寡黙な新王太子は余りぱっとしなかったようです。
ちなみに、ルイ16世は肥満というイメージがありますが、ンなこたァない!10代の彼はスラリとした長身の少年でした。肥満し始めるのは即位した後。20代になってからです。

ええい、コレが証拠だ!w
jeune.jpg

↑↑1776年の陛下↑↑

見た目は悪くないのでしょうけど、余り喋らないし、動作もきびきびしていない(恐らくは金糸も大きく影響していると思われます。)何か話しかけられると考え込んでしまう。
瀟洒で洒落た会話を旨とするヴェルサイユでは、「この子供は少し頭が弱いのではないか」と思われるのは無理もありません。
しかし、彼はすごく頭のいい子供でした。其れを知っているのは家庭教師のみ。飲み込みも早いし理解も早い。其れでも、歌を上手く歌えるわけではなく、さらにはダンスを上手く踊れるわけでもなく、貴婦人に気の利いた言葉一つかけられるわけでもない。頭の中は常人以上に回転しているのだけれど、其れが軽薄な宮廷人にはわからない。そんな少年でした。

そんな少年の元に嫁いでくるのがこのお姫様。
01.jpg

愛らしく音楽もダンスも大好き。頭の回転も速く、会話も得意。
この二人は何から何まで、正反対の夫婦でした。

まあ、お二人の夫婦生活は色々と込み入っているので、別の機会に譲るとして。

ルイ15世が亡くなったとき、ルイ16世はまだ19歳。そして王妃アントワネットはまだ18歳。
「神よ、我らを護り給え。我ら、余りに幼い身で君臨する身になりますれば」

と、二人は、先行きの不安と、まだ余りに若すぎる身で背負うことになった重責に泣いたといいます。
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Anastasia

Author:Anastasia
リーガ・エスパニョーラが見たい…。
でも眠い…。

あ☆そういえば、メッシのおニューな髪型はまだ見てないんですけど??

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